実績からピックアップ・執筆編

これまでに執筆した記事をまとめます。

ロートレックとモンマルトルの風車

ロートレックは、18歳でパリに上京。アトリエで絵を学び、ゴッホらと親交を深める。次第に、ロートレックの足は、学術的なアトリエには向かわず、モンマルトルの歓楽街に惹かれていく。そこに部屋を借り、キャバレーやダンスホールに頻繁に出入りする。そこで数々のモデルに出会った。 アトリエ仲間のゴッホとロートレックが共通して題材にしたもののひとつが、後にご紹介する「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」。風車を改造したダンスホールである。この酒場で、友人たちと談笑するロートレック。葉巻をくわえ、ワインを分かち合うロートレック。このころから、彼はアトリエに行かなくなる。 この写真から数年間、ロートレックは精力的に作品を制作した。ムーラン・ルージュやル・ディバン・ジャポネなどのキャバレー用の版画やポスターなど。あわせて、版画400点、31のポスターを残している。「世紀末の女神」といわれた人気歌手、イヴェット・ジルベールがロートレックのお気に入りだった。黒く長い手袋がシンボルの歌手のジェスチャーに惹かれ、多くのデッサンやポスターの下絵を描いている。 モンマルトルのシンボルである風車がひとつひとつ姿を消し、キャバレーやダンスホールに生まれ変わった「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」も下火になっていく19世紀末。ロートレックの健康状態が悪化していく。多くの作品を手がけていたため夜更かしが続き、アルコールが身体を蝕みはじめる。 1901年、ロートレックはモンマルトルを跡にして母親の元へ戻っていく。死が訪れる間際まで、絵筆を持ち続けた画家ロートレック。身内に囲まれるなか短い生涯を閉じる。享年37歳。 画家亡き後、モンマルトルの風景が変わっていく。ロートレックが頻繁に通った、「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」、そして風車も時代の流れとともに消滅の危機にさらされていく。

(2009年2月 H&M PRESS掲載記事から一部抜粋)     続きを読む

モンマルトルの風車

風車ブリュット・ファン
1622年にできた風車、ブリュット・ファン
風車ラデ
1717年にできた風車、ラデ
モンマルトルのポストカード
ポストカードになったロートレックの作品

取材の裏話

モンマルトル博物館の資料室   2009年2月20日

ロートレックとモンマルトルの記事を書くことになって、資料を読みすすめるたびに、記載されている年代が違っているので古い資料の検証が必要でした。ネットでも調べましたが、複数のサイトを見てみると、結構、無断で引用しているところも。結局、行き着く先は同じ資料でした。

そこで、モンマルトル博物館の資料室へ。

親切で博学な学芸員のムッシューと、写真資料を一枚一枚確認しながら、ついでに写真とイラストを分類するお仕事も手伝ってきました。 この資料室には、論文を書こうとしている学生や研究者が世界中からやってきます。ここで資料を研究して、たった一冊だけだけれど本を出版した人もいます。 作家でもジャーナリストでも研究者でもない、肩書きはないけれど研究して文献を残しています。素晴らしい業績。いまや絶版になってしまった貴重な本を、私は参考にさせてもらいます。いつか、この作者のように、一冊だけでもモンマルトルに関する本を出版することを夢見て。

モンマルトル巡り

ブドウの収穫祭

モンマルトルの丘に唯一残るブドウ畑。

1860年にモンマルトル村がパリに併合されると、ブドウ農家が次々に姿を消していった。そこでモンマルトルの芸術家たちが立ち上がり、何本かのブドウの苗を植えた。それが今も残るこのブドウ畑。 初収穫祭が行われたのは1934年、以後毎年10月の第二週末に開かれている。

関連記事「独身主義者のセレモニー」(mainichi.jp掲載)

ダリダの胸像

我がモンマルトル散歩道に「DALIDA ダリダ」の胸像があります。彼女を眺めながらどんな人生を歩んだのか興味をもっていました。2005年5月2日と3日、2日間に渡ってFrance2が各90分の「DALIDA」のtéléfilmが放映されました。

DALIDAというのはエジプトのカイロに生れ、フランスで大成功をおさめた歌手。女優を目指した彼女は、オーディションで偶然言葉を交わしたフランス人女性に誘われて歌手への道に入っていく。彼女の最初の夫となったプロデューサーをはじめ、恋人が次々に自殺。 本人はスターとしての成功より、家庭を持ち子どもを産むことを夢みていた普通の女性だった。結局、運命がスターへの階段を上へと導き、「家庭」の夢は叶わない。彼女自身も1987年に自殺。

大ヒット曲Bambinoをはじめ60曲近くが盛りこまれ、テレビ映画として価値ある作品。2005年5月16日付の日刊紙le Parisienによると、2日間に渡って放映された番組はフランスで630万人が視聴しました。(フランスの人口約6400万人)。(2005年5月5日)

近くのレストラン「le moulin de la galette」には「ダリダの席」があります。彼女のお気に入りのテーブルだったそうです。

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